若き理学士21人の思いがここ、山口で大きく花開く
日本の理学教育の礎となる、東京理科大学の前身が誕生。

東京物理学校の校舎を復元した東京理科大学の近代科学資料館

設立当時の本学
近代化・西洋化が急速に発展した明治初期、自由民権運動の熱気が国を覆い、多くの人々が政治・法律学に傾倒していました。そのような中、東京大学を卒業した21名(中村精男:吉田松陰の門下生)の若い理学士たちは「理学の普及を以て国運発展の基礎とする」という建学の精神のもと、1881年(明治14年)東京理科大学の前身となる「東京物理学講習所」を設立しました。その後、明治後期から大正期には、師範学校と中学校の数学・理科教員の半数以上を物理学校出身者が占めるなど、日本の理学教育の創生期を支えました。
「東京理科大学」と「小野田セメント」、科学技術を追求する二者の出会い。

笠井順八翁像

国の重要文化財、小野田セメントの竪窯
「東京物理学講習所」創設に遡ることわずか1ヶ月前の同年5月、我が国最初の民間セメント製造会社「小野田セメント製造会社」(現太平洋セメント株式会社)が小野田の地に誕生しました。当時日本の近代化には、セメントは必需品であり、創始者笠井順八は、高度な科学技術を必要とする「セメント会社」が産業発展の礎となるという確固たる信念を貫き、日夜研究に没頭、試行錯誤のうえ、ようやく操業にこぎつけました。笠井氏は社員教育にも尽力し、小野田夜学会(後に小野田工業高等学校へ発展継承)を創設したほか、小野田銀行(現 山口銀行)や多数の企業の創立者でもあります。東京理科大学と小野田セメント。科学技術を追求する2つの組織は、106年の歳月を経て、巡り合うこととなりました。1987年(昭和62年)、高度な技術者・科学者を養成すべく、小野田市(現 山陽小野田市)、宇部市、山口県からの強い要請を受け、公私協力方式により、小野田の地に本学の前身「東京理科大学山口短期大学」を開学。1995年(平成7年)には、より高度な教育・研究体制の確立を目指し、4年制大学へ改組転換。ここに山口東京理科大学が誕生することとなりました。さらに、2014(平成26)年には、山陽小野田市との連携を強化し、公立大学に移行することについての基本協定を締結。2016(平成28)年、公立大学法人山陽小野田市立山口東京理科大学が誕生しました。
「公立薬工系大学」として地域社会の発展に貢献する

医薬工学科について説明する池北理事長と望月学長(当時)

認可書を手にする藤田市長と池北理事長
2018年、薬剤師不足等を解消するため西日本の公立大学初の「薬学部」、2023年、山口県で初となるデジタル人材を育成する「数理情報科学科」、2024年、山口県の主要産業である医薬品製造に関わる「医薬工学科」を設置。本学は、全国唯一の「公立薬工系大学」として、産学官の連携を深め、地域の知の拠点として、地域の産業振興や地域社会の発展に貢献いたします。